さぼりな日記

アラサー女の思考整理。

休職してよかったこと。人の評価がこわい自分からさよならできた話。

休職してもうすぐ2ヶ月

お久しぶりです。どこかのあなたもいかがお過ごしですか?

休職してから約2ヶ月が経ちました。その間、私にどのような変化があったのか。

よかったこと。そうでないこと。気ままに、記録として残しておこうと思う。

本日は、休職してよかったことその①、について。

人からの評価が気にならなくなった

周りに迷惑をかけて休むくらいなら、自分が多少無理して続けるべき・・・

がんばり屋さんで居るほうが楽だった。責任感が強い自分でいたかったんだろうな。

人は常に自分に評価を下す・・・

でも、それは幻想。

人からの評価は幻想です。むしろ、なにか事情があり休んだり辞めたりしてしまうくらいで落とされる人望、評価指標ははじめからいらない。

このごろ、私の心はとっても楽になった。

人の評価を気にしてしまう自分ってなに?

人からの評価を気にしてしまう自分、というのは、実は自分自身がそのようなものさしをもって他者を見てしまっているということだと思うんですよね。

自分が常に、何らかのものさしで他者を価値判断しているから、それが自分の中の当たり前になってしまっていて、自分もそのように見られている、となぜだか確信してしまっているという悲劇。なんという飛躍。

もちろんそうでない人もいるでしょう。人の感じ方捉え方は人の数だけありますから。

ただ、私はさきほど書いたようなからくりに、気づけばがんじがらめになってしまっていた、というわけです。

周りの人は、自分が思っていたよりもずっと、何十倍も、やさしかった。

職場は何も詮索せず、ただお休みを推奨してくれた。「休んで復帰するも、退職するのも、あなたの選択だから、応援している」と。

夫は、「気が済むまで休んで、次のことを定めていこうよ。お金はなんとかなる。」と。

私はてっきり、自分の状況を、選択を、責められるのではないかと思っていたから・・・

予想外の反応。いいんですか??と思うくらいのやさしさ。

 

人の寛大さにふれて、自分の苦しい価値観に気づくことができた。

やさしく理解を示してもらって、それとは対照的な自分自身の価値観が浮き彫りになり、

それを捨てることができるようになっていく。

人からの評価を恐れていたのは、人を厳しく評価してしまう自分自身の影を見ていただけ。

 

そんな自分とさよならできたことは、

今回、休職を通して最もよかったことの一つ、と感じている。

ありがたき幸せ。

 

皆さんは最近、何かが腑に落ちた、という出来事はありますか?

いろんな人のお話聴いてみたいな〜

 

ではまた♡

休職して心の断捨離をしているこの頃

ちゃっかり長期休職に入りました。

先日、1週間欠勤をしてから、そのままの流れで長期休職に入った。

それからというもの、不思議なほど心が楽になった。

業務から解放されて、時間に追われることなくゆったりとできる時間ができたからだろう。

でも何よりも、自分の心に正直にあれる選択をすることができたということに、深い安堵と自信に変わったからだと感じる。

 

恥ずかしい話、私は自分の感覚、判断にひどく自信がなかった。

多少いやだと感じることでも、自分の努力次第で何とかなるかもしれないし、私が未熟だから自分が変われば事態は変わっていくはずだ、という思考でやってきた。そもそも、いやだと感じる自分の感覚が心もとない=間違っている というスタンス。

こうして振り返ってみると苦しい考え方だな〜と苦笑いしている今だが、これが自分の通常だった。

自分のふつう、って手放すの難しいですよね。

だってそうやって自分を保ってきたから。

その価値観を手放すってことは、今までが間違いだった、無意味だった、ってある種認めることでもあるから。

それでも、不要になった考え方は捨てていく。荷物を置く。

心を軽くして次のステージへ進んでいく。

そういうサイクルが、生きるってことなのかなと気づいた夜であった。

 

日々自分のiosをアップデートしていきたいですね。

 

 

 

 

 

休職5日目。自立ってどんな感じ?

時よ 止まってくれないか。

1週間というお休みの期間はあっと言う間で

気づいたら5日間消費している。

あと2日しかない!か、まだ2日もある!と

ものごとをどのように捉えるかは自分次第。

 

昨日は、人の優しさを感じた日。

夜はなんとなく、両親と弟夫婦とzoomでおしゃべり会をすることに。

私がお仕事を休んでしまったことについて、

誰も責めたりしないんですよね。

 

弟は『福祉だけが人に役立つ仕事の形だとは思わないよ。

自分が好きと思えること、得意とすることで

結果的になにかに貢献できるのであればそれも良い生き方じゃん』

 

両親『親から言えることは、身体をこわしてまで無理して

続ける義務なんてない。

年齢や経験によって仕事の向き不向きも変化していくものだしね。』

 

私は本当に家族の存在に感謝しやした。

29になってまで、自分で答えをだすことができないなんて

情けない、やばいな自分って。と感じていたが、

そもそも人間、生きている限り、何かしらのものや存在に

助けられて生きているものだよね。

それが家族であるのか、公的なサービスなのか、友人か

パートナーか。知人か。

それでいいんだな、と思った。ていうかそれを、支援の対象者に

いつもお伝えしてきたはずなのに・・・。

 

自立するとは、なんの助けもいらずに強くあれることではない。

できないことはいろいろなものや人に助けられながら素直に生きること。

 

仕事柄、自分は助ける役回りにいることばかりだったように思うが、

助けてもらうということが上手にできていなかったな。

でも今回のお休みは、こういうひとつの当たり前に気づかせてくれた。

 

残すところは自分とのたたかい。

最後はやはりここなのだと思った。

自分の価値観、プライド、恥・・・

素直にこうしたい、という気持ちは、もう

喉まで出かかっているんですけどね。

 

自分の軸で、自分の思いにしたがって生きて

いいんだよ、という加減がわからないのです。

自分で選択していく、とはとっても難しいことだね。

 

でも、今回。

ウソやいつわりのない自分の気持ちを

大切にするという選択ができたとしたら、

 

今よりもっと、自分のことが好きになれそうな気がする。

 

 

 

休職4日目。みんなどうやって退職決めたの?

朝食食べた。

そんな当たり前のこと・・って感じる方もいるかもしれませんが

私にとっては驚きの変化。笑 昨日の記事にも書きましたが、

なにしろ平日の朝は食欲なんて機能停止していますから。笑

つくづく、お休みというものは、人間を本来の姿に戻してくれるなあと体感。

さあこれからどうしよう。

これから、というのは今後の働き方について。

これまたさくっと答えを出すのが難しくて。自分の感情と意思は

日内変動を繰り返しながら、揺れに揺れています。笑

退職しちゃう?!?!

できるならしたい!!ってのが本音。

まず、これまで約5年間、医療や福祉に携わってきて、

情熱を持ってできたことがないのである。悲しきかな。

情熱なんて必要ないよ、むしろそれに頼るほうが怖いのでは?

と考える方もいるかもしれません。確かに、それもそう。

助けたい!!とかいう自分の感情エネルギーだけでは乗り越えられない

困難事例はたくさんあるからです。

 

別に大それた使命感やモチベーションはないからこそ、

心理的に割り切って、相手と他者の課題に線引きをしながら

こなしていく、ということができる利点もある とは思う。

 

でも、ね。楽しくない・・って気持ち、ずっとくすぶっているよ。

慢性的にそう感じているから、給与が低い!とか祝日休みがない!だとか、

外面的?なところにも不平不満がつのってくる。

こんなんでは、よい支援もできません。。。

 

続ける・・・?!

これは、短期的には楽な選択。だって、

「お休みありがとうございましたぁー また頑張ります」

って言えば、なんとなくこれまでの日常は維持できるから。

退職するには、上司やこれまで応援してくださっている方々に

自分の考えを正直に述べるというハードルがある。

これ、じつは私とってもこわい。

 

じゃあフルタイムの勤務はやめて、時短にしてもらうか

またはパートタイムとして契約の切り替えをするか

時間を減らせば少しは気持ちも回復するかもしれん・・?

わかっています。これらはぜんぶ、自分にとっては

退職というあまりに大きな答えをだすのがこわいから、逃避策にすぎない。

 

自分がもっているものさしを捨てたい。

ある人が言いました。

自分の中に、これは良し悪し、というものさしがあるから

苦しくなるんですよ

ほんとうそうだなあ。自分の、こうあるべき、にこだわるから

自分の選択にも価値判断をくだしてしまう。

 

お仕事合わないなぁって気持ち、

大事にしてあげてもいいんじゃん。

 

ここまでわかっているのなら、あとはどう行動したらいいのか?

 

・・・29さい女。うだうだしています。

どこかのあなた、大丈夫ですよ。

ゆっくり答えをだしていこうではないか。

 

 

休職3日目。仕事観を考えなおしてみる。

休職3日目。のんびり自分を見つめてみる。

神奈川のある大都市は現在くもり。いつも仕事の時は朝に空腹を覚えることもない。

とにかく出勤してあれしてこれして、、と考えるばかりでご飯を食べたいと思わない。

でも、今朝はお腹がぐーぐー止まなくて。当たり前の生理現象に、ちょっと驚く。

あ、食欲をわきに置いてしまうほど、私は意外と、気を張って頑張っていたのかなって。

 

案外、自分の状態を正しく把握できていることって少ないですよね。

立ち止まることによってようやく客観的に自分を見られるようになるというか。

渦中にいるときって、わかっているんだけどできていない。

価値ある仕事に携わっている『自分』にこだわりすぎていた

福祉に携わってはや5年。困っている人を助ける仕事をやっていることによって、自分がなにか社会にとって意義のあることをしているんだって思おうとして、

そうやって、価値のある自分というものを感じたかったのかもしれない。

自分軸で生きるのはよくないこと?

最近は社会の流れとして、好きなことを仕事に!とか、一度きりしかない人生を自分らしく楽しもう!という機運がとても高まっていると思うのだけど、はじめこれを聞いた時、

「こんなに自分軸で生きていいものなのかな?」って感じてしまった自分がいた。

どこか、仕事とか生きることって、自分だけの意思じゃどうしようもできない、とか、嫌なことでも一通りは避けずにやれるようになって一人前っていう価値観が自分をしばっていたんだよね。

でも、それは少し違うのかなって感じ始めている。

誰かがこう言っていた、親からこう教えられてきた、あの人はこれでうまくやってきた

とかではなく、

自分にはどのような選択、考え方がしっくりくるのか

より自分らしくあれるのか、

というのを、仕事やら色々な経験を通して、自分や他者と対話しながら見つけていくんだよね。

 

うん。これを言葉にできただけでも、お仕事休んでよかったと思える。

 

人知れず頑張っているどこかのあなたにも、たいせつな気づきがありますように。

 

社会人5年目。燃え尽き初休職2日目。

休職してしまいました。

公休日2日目の朝、「明日から仕事かーやだなー」なんて思っていたら、耳下腺が大きく腫れているではありませんか。とりあえず抗生剤を飲み、さて明日から出勤するしかないか、なんてどんよりしていたら、夫のススメもあり、1週間のお休みをいただくことに。

 

実は、初めての休職。普段は福祉の現場で、ソーシャルワーカーの仕事をしている。

毎日のお仕事の内容は、利用者のお悩みを聞いて、解決法を一緒に整理したり。

一緒に精神科の病院へ通院したり。食事の準備やお掃除も基本業務のうち。(グループホームなので)

 

こういう仕事って、誰かの人生に寄り添うことであり、暮らしの中で喜びも苦しみも共にすることでもあり、とても価値のある営みであるとわかっているのだけど。

どうしても、精神的疲労が蓄積する。

自分の価値観をひとまず置いておいて、利用者の考えに耳を傾けていく必要があるからだろうか。とにかく、疲れてしまった。ぷつん。って感じ。

 

休職2日目の今日は、気ままに起床し、家事をしながらゆったり過ごしている。

昼食も久しぶりに手作りのものを準備できた。いつもは買い弁。笑

今や共働き世帯が多数の中、皆さんはどのようにしてお仕事と家庭のバランスをとっているのかな。

これからの働きについても、具体的に考えていかなくては。

今は、しばらく、福祉から離れたい。ってのが本音。